1881年 ドイツでPCBが合成される。1954年 鐘淵化学工業株式会社(現・株式会社カネカ)が日本で初めてPCBを製造開始。1950年代 国内外の科学者がPCB使用工場における労災の発生を報告。1961年 カネミ倉庫株式会社が米ぬか油の製造開始。1967-68年 カネミ倉庫で脱臭装置の補修工事。
1968年2月 西日本16県317養鶏場で鶏に奇病発生。推定190-210万羽が斃死(ダーク油事件)。1968年3月 西日本地域で、手足のしびれ、全身の吹き出物、爪の変色などを訴える者が続出。1968年8月 国立衛生予防研究所の技官が、厚生省と農林省にダーク油の提出を求め、人への被害発生を警告するが、無視される。 福岡県の被害者が九州大学附属病院に米ぬか油の分析を依頼するが無視される。1968年10月 朝日新聞西部本社が初めて油症を報道「西日本一帯に原因不明の奇病発生」。 九大の医師らが油症研究班を組織し、「カネミ油症診断基準」を作成、認定を開始。 油症の母親たちが「黒い赤ちゃん」を出産または死産。 各都道府県は米ぬか油の販売・移動を停止。北九州市はカネミ倉庫に営業停止措置。1968年11月 厚生省は油症発生の原因としてピンホール説を採用。 油症研究班は、病因物質としてヒ素説や農薬説を否定、PCBであろうと報告。
1968-69年 ここまでに14,627人が被害を届け出、913人(6.2%)が認定。被害者は各地域で組織を結成、カネミ倉庫、同社長、鐘化を訴える「福岡民事」提訴。※以後、被害者は2008年までに計9件の訴訟を提起。うち5件は国も被告に含める。1969年 北九州市はカネミ倉庫の営業再開許可。1970-87年(裁判闘争期) 「全国統一民事」の1陣および3陣原告は地裁と高裁で国に勝訴し、仮払金を得るが、1987年、最高裁判決を前に国への訴えを取り下げ。鐘化とは和解。仮払金の返還義務が生じる。 →仮払金返還問題1975年 九大大学院生の長山淳哉が油症の原因物質にPCDF(ダイオキシン)を発見。
1987-96年 被害者組織は自然消滅。国も被害を放置。
1996年 九州農政局は各原告に仮払金の返済督促状を送付。債務は1人当たり約300万円、総額27億円。99年までに調停で債務者827人と返還方法を取り決め。2001年 坂口力厚生労働大臣が参院決算委員会で「油症原因物質はダイオキシン類」と答弁、認定基準の見直しを約束。2002年 カネミ油症被害者支援センター(YSC)設立。2004年 油症診断基準に「補遺」としてダイオキシン類の血中濃度が追加される。2006年 日本弁護士連合会がカネミ倉庫と鐘化に人権救済申し立て。自民・公明がプロジェクトチームを結成、救済法の法案作成を開始。2007年6月1日 カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律が成立。
2008年 九大病院に油症ダイオキシン研究診療センター開設。2008年5月 1987年以降に油症と認定された「新認定患者」らがカネミ倉庫と同社長を提訴(新認定裁判)。最終原告55名。2008年7月 厚生労働省が認定患者の健康実態調査。調査協力者に協力金19万円を支給。2012年8月29日 カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律が成立。2012年12月 診断基準が改定され、カネミ油症認定患者の油症発生当時の同居家族が認定対象に。
2013年3月21日 新認定裁判、福岡地裁小倉支部にて原告敗訴。カネミ倉庫の責任を認めない初めての判決。原告は控訴。2013年6月21日 第一回三者協議。患者団体、カネミ倉庫、国(厚労省・農水省)が議論。2014年2月24日 新認定裁判、福岡高裁にて原告敗訴。理由は地裁同様、除斥期間の適用。2015年6月2日 新認定裁判、最高裁にて上告棄却、原告敗訴が確定。2019年1月 カネミ油症被害者全国連絡会が設立。2020年12月 YSCが被害者の子や孫の健康影響を独自に調査、49人分の結果をもとに救済に向けた要望書を国に提出。2021年8月 全国油症治療研究班が、認定患者の子や孫を対象にした初めての健康実態調査を実施。2023年6月 同研究班が調査結果を報告、一部の先天性疾患の発生率が高い傾向が明らかに。
年表作成に当たり、以下の文献を参考にした。
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カネミ油症問題年表
前史
1881年
ドイツでPCBが合成される。
1954年
鐘淵化学工業株式会社(現・株式会社カネカ)が日本で初めてPCBを製造開始。
1950年代
国内外の科学者がPCB使用工場における労災の発生を報告。
1961年
カネミ倉庫株式会社が米ぬか油の製造開始。
1967-68年
カネミ倉庫で脱臭装置の補修工事。
被害発生期
1968年2月
西日本16県317養鶏場で鶏に奇病発生。推定190-210万羽が斃死(ダーク油事件)。
1968年3月
西日本地域で、手足のしびれ、全身の吹き出物、爪の変色などを訴える者が続出。
1968年8月
国立衛生予防研究所の技官が、厚生省と農林省にダーク油の提出を求め、人への被害発生を警告するが、無視される。
福岡県の被害者が九州大学附属病院に米ぬか油の分析を依頼するが無視される。
1968年10月
朝日新聞西部本社が初めて油症を報道「西日本一帯に原因不明の奇病発生」。
九大の医師らが油症研究班を組織し、「カネミ油症診断基準」を作成、認定を開始。
油症の母親たちが「黒い赤ちゃん」を出産または死産。
各都道府県は米ぬか油の販売・移動を停止。北九州市はカネミ倉庫に営業停止措置。
1968年11月
厚生省は油症発生の原因としてピンホール説を採用。
油症研究班は、病因物質としてヒ素説や農薬説を否定、PCBであろうと報告。
裁判闘争期
1968-69年
ここまでに14,627人が被害を届け出、913人(6.2%)が認定。被害者は各地域で組織を結成、カネミ倉庫、同社長、鐘化を訴える「福岡民事」提訴。
※以後、被害者は2008年までに計9件の訴訟を提起。うち5件は国も被告に含める。
1969年
北九州市はカネミ倉庫の営業再開許可。
1970-87年(裁判闘争期)
「全国統一民事」の1陣および3陣原告は地裁と高裁で国に勝訴し、仮払金を得るが、1987年、最高裁判決を前に国への訴えを取り下げ。鐘化とは和解。仮払金の返還義務が生じる。
→仮払金返還問題
1975年
九大大学院生の長山淳哉が油症の原因物質にPCDF(ダイオキシン)を発見。
沈黙の9年間
1987-96年
被害者組織は自然消滅。国も被害を放置。
第一の立法期(仮払金問題の決着)
1996年
九州農政局は各原告に仮払金の返済督促状を送付。債務は1人当たり約300万円、総額27億円。99年までに調停で債務者827人と返還方法を取り決め。
2001年
坂口力厚生労働大臣が参院決算委員会で「油症原因物質はダイオキシン類」と答弁、認定基準の見直しを約束。
2002年
カネミ油症被害者支援センター(YSC)設立。
2004年
油症診断基準に「補遺」としてダイオキシン類の血中濃度が追加される。
2006年
日本弁護士連合会がカネミ倉庫と鐘化に人権救済申し立て。自民・公明がプロジェクトチームを結成、救済法の法案作成を開始。
2007年6月1日
カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律が成立。
第二の立法期(推進法の成立)
2008年
九大病院に油症ダイオキシン研究診療センター開設。
2008年5月
1987年以降に油症と認定された「新認定患者」らがカネミ倉庫と同社長を提訴(新認定裁判)。最終原告55名。
2008年7月
厚生労働省が認定患者の健康実態調査。調査協力者に協力金19万円を支給。
2012年8月29日
カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律が成立。
2012年12月
診断基準が改定され、カネミ油症認定患者の油症発生当時の同居家族が認定対象に。
第二の裁判闘争期と訴えの棄却
2013年3月21日
新認定裁判、福岡地裁小倉支部にて原告敗訴。カネミ倉庫の責任を認めない初めての判決。原告は控訴。
2013年6月21日
第一回三者協議。患者団体、カネミ倉庫、国(厚労省・農水省)が議論。
2014年2月24日
新認定裁判、福岡高裁にて原告敗訴。理由は地裁同様、除斥期間の適用。
2015年6月2日
新認定裁判、最高裁にて上告棄却、原告敗訴が確定。
2019年1月
カネミ油症被害者全国連絡会が設立。
2020年12月
YSCが被害者の子や孫の健康影響を独自に調査、49人分の結果をもとに救済に向けた要望書を国に提出。
2021年8月
全国油症治療研究班が、認定患者の子や孫を対象にした初めての健康実態調査を実施。
2023年6月
同研究班が調査結果を報告、一部の先天性疾患の発生率が高い傾向が明らかに。
年表作成に当たり、以下の文献を参考にした。
HOME > カネミ油症とは > カネミ油症問題年表
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